8/6 ②委員会で支援する方々と交流
◉お昼ごはん
◎あさひ鮨さん訪問
震災当時から委員会で
毛布や食べ物など
支援物資を届けている
気仙沼の現地の方と
お会いしました。
「毛布 今でも
ずっと大切に使ってるいるよ
あの時は本当にありがとう!」
「こうして何か助けをしたら
絶対に自分も助けてもらえる」と
お礼の言葉をもらって
とてもうれしくなりました‼︎‼︎‼︎‼︎😢💓
はじめてモズクが美味しいと思った!
お寿司がとっっっても!!!!!
美味しかった😋
ぺろっと食べれちゃう。
もう一回食べたい笑
美味しかったーーーーーーー、
ほんとに幸せ❤️
わさびも美味しかった。
ツーンとするイイわさびやった笑
茶碗蒸しの中に入ってた
エビちゃん🦐が
めっちゃ美味しかった💭
もう全部美味しい。
これは食べへんかったら
あかんわぁー✨
バニラアイスを
ご馳走になりました!
ありがとうございます。
見えなくなるまで
私たちを外で見送ってくれました。
繋がりの大切さを学びました。
私が架け橋となり、
後輩にも現地の方々の声を
届けられたらいいなと思います。
◎マルニシさん訪問
委員会の活動で学校の
夏まつりや文化祭で販売している
物品を扱っているところ。
ここでいっぱいお土産を買いました🌟
復興のシンボルとなった
「奇跡の一本松」
1本松と他の松が並んだ場所は
離れていた
だから1本残った?
現在の奇跡の一本松は
レプリカ😱😱😱
立ち枯れてしまったため、
市がレプリカや防腐処理を
組み合わせての復元
◎震災遺構
市街地を離れ
地方にいくと
クレーンで工事中のところが多い。
道路が整備されているところと、
されていないところがある。
ガードレールがガタガタ。
道がまだ舗装されていない。
かさ上げのために土が盛られている。
かさ上げせずに道を整備すると
水がたまるので、
どこもかしこもかさ上げ最中。
かさ上げする前に建ててしまった家は
地面の高さと(お隣さんが)両サイドの地面の高さが違う。
家が低い。
やっと防潮堤をつくり始めたところ。
→「海が見えなくなっちゃった」と
ジャンボタクシーの運転手さんの
今野さんが言っていました
ポツンとある家
震災当時からそのまま残されている
家の持ち主は家の2階にいて助かったが
親が下で亡くなっので
親を亡くした場所だから残しておきたい
と当時のままにしてある。
8/6 ① 気仙沼東日本大震災遺構伝承館
◉朝ごはん
いただきまーーーす!✨✨✨
どれも美味しい!
なににしよっかなー、迷う笑
バイキングの盛り付けって
センスが問われるよね。
お魚が美味しかった!
東北 宮城や仙台で
有名なおかずやスイーツが
たくさんありました!
せっかく来て、
食べないともったいないので
チャレンジしていっぱい食べました😚
ごちそうさまでしたーーーーー!!✨✨
満足〜〜〜😆
今日は仙台市内から
気仙沼へ移動です。
(バスで3時間くらい)
2011年3月11日発生の
その後の大規模な火災は
死者1.152人(震災関連死を含む)
行方不明者214人に上る
最大級の悲劇を気仙沼にもたらました。
将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え
警鐘を鳴らし続ける
「目に見える証」として活用し
気仙沼市が目指す
「津波死ゼロのまちづくり」に
寄与することを目的としています。
※パンフレット文
実際に目の前にして見て
うまく言葉がでませんでした。
驚きました。
震災当時から残されています。
〈伝承館の動画を見て〉
流される船。海の火災。
タンクから油が流出して燃え、
黒い海となっていた。
→鎮火するのに2週間かかった。
押し寄せる濁流。
津波が南港をのみこみ
街が消える。
信号が消え、避難する車が
大渋滞。
余震の恐怖に怯える。
動画での現地の人達の焦る声。
「逃げろ!」と叫ぶ声。
今日の一番心に残っているのは
伝承館で見た中学生の
卒業式答辞の動画です。
この動画を多くのひとに
見て欲しいと思いました。
間寛平さん「しずる」ら、
他お笑いタレントさんが
みちのくマラソンで
気仙沼を訪れているところ
偶然会いました!
運がいい!笑
これからも活動
頑張って下さい!
8/5 ④仙台七夕花火祭
お腹いっぱーーーーーい!
めっちゃ満腹❤️しあわせー🥰
牛タン食べた後、
仙台七夕花火祭の
花火を見ました。
花火が近くて
(低くて)
見られなくて残念だった。
1万5000発以上の花火があげられる🎆
すごい綺麗だった!
花火ってロマンチックだよね🤭💓
でももっと近くで見たかったなぁ、笑
8/5 ③ズンダ ホヤ 牛たん
念願のっ✨✨✨
ズンダシェーク!飲んでみた
すんだは枝豆をつぶしたもの!
甘くて美味しかったー!
ホヤ…
海のパイナップルと言われている。
塩がきいていて美味しーーーい!!!
お土産に持って帰りたかった…
ちなみに🌟
「ホヤぼーや」
かわいいね笑
そして晩ご飯はっ!!!!!
きゃーーーーーーー!!!!!!!
牛タン定食です!✨✨✨✨✨
歯ごたえが良すぎた💞
肉厚でジューシー。
いろんな味を楽しみたいなーと思って
みそと塩のミックスを頼みました。
こんなに分厚い牛タン
はじめて食べた。
美味しすぎる!!
ご飯がすすむ、すすむ!!
お漬物も美味しかった笑
ここのお店には
芸能人の方もたくさん
こられているみたいで
サインが壁にいっぱい
貼ってありました!
やっぱり違うなぁ、来てよかった🤣
8/5 ②多賀城フィールドワーク&学校交流
多賀城駅に着きました!
暑い!!!!!!
多賀城市内では最大4.6メートルの浸水深を観測しました。
市域の3分の1(約662ha)を津波が飲み込みました。
市内で亡くなられた188 名の方の
お名前が納められています。
市民だけではなく、市外から訪れた方々、
そして震災を経験していない将来の世代にも、
多賀城市の被災状況や、減災への誓いを
伝承していけるものとなっています。
ロータリークラブの方に
市内を一緒にまわり当時の様子を
聞かせて頂きました。
最古の日本語・神代文字(かみよもじ)
(コマツタエ)で言い伝えとして残っている。
実際、津波が来たことがない。
昔の人はそれを分かっていて
城を高いところに建てた。と言われています。
多賀城にある歌枕「末の松山」は、
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
(清原元輔)
なので「津波の際は末の松山に逃げろ」と言われている。
多賀城イオンに着いて
タクシーから降りると潮の香がしました
海に入ったように肌がぬるぬる🤭‼︎
目にも何か入る。風もすごく強い。
大震災の時、
イオンから見える駐車場に
人がいたので
皆で「逃げろ!」と叫んだ。
でもそのまま飲み込まれてしまった…
→現在
→このURLから津波がきた当時の様子を
見ることができます。
イオンの近くに住んでいた人たちは
イオンの2.3階へ避難した。
1階は浸水した。避難した人の多くは
寒かったので階段で過ごした。
イオンでは食品や毛布など提供した。
イオン多賀城店からの写真↓
この大きな鉄塔は
日本に3台しかないクレーンを持って来て
震災から1か月で建て直されました。
動画から津波で鉄塔が倒れそうになってる
様子が見られます。
(電線があったので倒れなかった)
東日本大震災大津波 イオン多賀城店 Tsunami attack in Japan - YouTube
※震災当時の様子(津波の映像です閲覧注意)
ロータリークラブの方から
教えて頂いた当時の様子
街の電柱は一つ残らず倒れた。
津波が黒い壁のように見えた。
沿岸部の津波と
都市の津波には違いがある。
沿岸部では少しずつ揺れて大きくなる。
津波は静かに襲来し、
どんどん勢いを増し
湾奥へと押し寄せた。
都市部の津波は黒い壁が
車をのみこんで押し寄せてくる。
多賀城市は海から近いところにあるが
津波がくる方向が予測できなかった。
都市では海から近いが実際に海は見えず
津波のくる方向が分からない。
また
建物が地震で崩れて道が狭まり
水位が上がる。
(都市型津波→海が見えない恐怖)
その為
「津波は遠いところへ避難するより
近くの高いところへ逃げる!」と言われている
津波は30㎝でも足がすくわれる。
津波は1度押し寄せて引いていく。
何度も 波がくる。
流されたものが元の場所に15分して
戻ってくる現象があった。
水が河を上ってきた。
河が氾濫し逆流する→河川津波
海から川を伝って9㌔も逆流した。
市内で火災が発生。
海でも火災が発生。
(タンクから油が出る→黒い海)
家がまるごと川に流される。
トラックが縦に3台刺さってる。
車の中で亡くなる人が多かった。
(車の中が血だらけ)
その日は津波の被害が少なかった。
そのため3/11で判断を間違えてしまう
(大丈夫だと思ってしまった)人が多かった。
特に工業地帯で働いていた人は
上司がいない場合、
逃げ遅れてしまうこともあった。
(避難指示を出す責任者が不在)
震災直後でも食品の入ったバスの中身を
勝手にとることはない→日本人だなと思った。
新しく建てられたマンションには4階まで
「逃げろ」避難をするように促す表示がある。
多賀城高校の生徒が付けた
津波の高さが示された看板のついた
電信柱が市内に120本ある。
◉学校交流
海から3㌔のところにある高校。
東日本大震災の経験と教訓を
後世に継承するとともに、
来る国内外の防災・減災に貢献することを目的として、
平成28年に「災害科学科」が導入され
震災の啓蒙活動に取り組まれています。
生徒を家に帰した。
そして帰宅中に津波が来て
生徒が歩道橋で1夜を過ごすことになった。
未来の防災を担う若者たちが集う
「全国防災ジュニアリーダー」の合宿に
特別に交ぜてもらいました。
実際に地震が起きた時、目的を決めて
どう行動するか、
【津波避難シュミレーションワークショップ】
目的までの道のりに
「!」がある
→そこでハプニングが起こる。
対処法を考えながら目的に向かう
(↑ハプニング)
交流高校の中には
阪神・淡路大震災の教訓を生かし、
全国で初「環境防災科」を導入された
「兵庫県立舞子高等学校」 など...
学校間を越えて
ワークショップや
意見交換を通し
防災について
深く学ぶことができました。
8/5 ①トウホク留学へ出発‼︎
今から仙台に行きます!!!
楽しみーーーーーーーー!
一番楽しみなのは、食べ物( ⸝⸝⸝⁼̴́◡⁼̴̀⸝⸝⸝)
絶対に牛タンと海鮮は食べたい。
高校生二人、中学生四人、
先生二人。
1時間くらいのフライト楽しみ♪
映画みれるかなーっ🤣💭
実際に防災活動をされている
多賀城高校と交流して
防災意識を高めることと
現地の方に寄り添い今必要とされている
支援は何かを見つけることを目的として
トウホク留学をたちあげました。
今回、参加したかったけど、
参加できなかったメンバーがいます。
その友達のためにも
しっかり学んできます。
ここまで津波がきたのか、
とこわくなりました。
ふと…今ここで津波がきたら
どうなるんだろうと
思ったりもしました。
到着すぐ
震災の面影を感じます。
車内にトイレがついていたり…
押しボタン式で
ドアが開くようになっていたり
関西では見られない
つくりになっていました。
仙台市内へ
さっそくお小遣いをもらって
駅内を探索‼︎‼︎
食べましたっ❤️
仙台七夕の飾り
美味しいモノもたくさん
食べて、しっかり
リポートしようと思います。
フィールドワークと
学校交流のため
多賀城市へ!いってきまーす!