いまいま

トビタテ4期生/国際ボランティア/フィリピン🇵🇭/セブ島/JICAベトナム研修/東日本被災地応援実行委員/小学校の教師になりたい私の日記です📖✍

8/5 ②多賀城フィールドワーク&学校交流

 多賀城駅に着きました!

暑い!!!!!!


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東日本大震災

多賀城市内では最大4.6メートルの浸水深を観測しました。

市域の3分の1(約662ha)を津波が飲み込みました。

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これは多賀城市 東日本大震災モニュメント」です。

市内で亡くなられた188 名の方の

お名前が納められています。

市民だけではなく、市外から訪れた方々、

そして震災を経験していない将来の世代にも、

多賀城市の被災状況や、減災への誓いを

伝承していけるものとなっています。

 

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多賀城高校の先生&気仙沼

ロータリークラブの方に

市内を一緒にまわり当時の様子を

聞かせて頂きました。

 

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「20mの津波があったら多賀城へ逃げろ」

最古の日本語・神代文字(かみよもじ)

コマツタエ)で言い伝えとして残っている。

実際、津波が来たことがない。

 

昔の人はそれを分かっていて

城を高いところに建てた。と言われています。


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 多賀城にある歌枕「末の松山」は、

貞観津波(869年)にも津波が届かなかったとされる。

 

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
清原元輔

 

なので「津波の際は末の松山に逃げろ」と言われている。

 

 

多賀城イオンに着いて

タクシーから降りると潮の香がしました

海に入ったように肌がぬるぬる🤭‼︎

 

目にも何か入る。風もすごく強い。

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大震災の時、

イオンから見える駐車場に

人がいたので

皆で「逃げろ!」と叫んだ。

でもそのまま飲み込まれてしまった…

 


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→現在

 

https://youtu.be/5gELOQf_pMc

→このURLから津波がきた当時の様子を

見ることができます。

 

 

 

イオンの近くに住んでいた人たちは

イオンの2.3階へ避難した。


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1階は浸水した。避難した人の多くは

寒かったので階段で過ごした。

イオンでは食品や毛布など提供した。

 

 イオン多賀城店からの写真↓

この大きな鉄塔は

日本に3台しかないクレーンを持って来て

震災から1か月で建て直されました。

 

動画から津波で鉄塔が倒れそうになってる

様子が見られます。 

(電線があったので倒れなかった)

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東日本大震災大津波 イオン多賀城店 Tsunami attack in Japan - YouTube

※震災当時の様子(津波の映像です閲覧注意)

 

 

ロータリークラブの方から

教えて頂いた当時の様子

 

街の電柱は一つ残らず倒れた。

仙台港から津波が押し寄せて来た。

地震発生から津波到達まで40分。

多賀城市津波最大4.6m。

 

津波が黒い壁のように見えた。

 

沿岸部の津波

都市の津波には違いがある。

 

沿岸部では少しずつ揺れて大きくなる。

津波は静かに襲来し、

どんどん勢いを増し

湾奥へと押し寄せた。

 

都市部津波は黒い壁が

車をのみこんで押し寄せてくる。

 

 多賀城市は海から近いところにあるが

津波がくる方向が予測できなかった。

 

都市では海から近いが実際に海は見えず

津波のくる方向が分からない。

また

建物が地震で崩れて道が狭まり

水位が上がる。

(都市型津波→海が見えない恐怖)

 

その為

津波は遠いところへ避難するより

近くの高いところへ逃げる!」と言われている

 

津波は30㎝でも足がすくわれる。

 

津波は1度押し寄せて引いていく。

何度も 波がくる。

流されたものが元の場所に15分して

戻ってくる現象があった。

 

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水が河を上ってきた。

河が氾濫し逆流する→河川津波

海から川を伝って9㌔も逆流した。

 

市内で火災が発生。

海でも火災が発生。

(タンクから油が出る→黒い海)

 

 

家がまるごと川に流される。

トラックが縦に3台刺さってる。

車の中で亡くなる人が多かった。

(車の中が血だらけ)

 

 

 

 

 

東日本大震災の前、3/5に地震があったが、

その日は津波の被害が少なかった。

そのため3/11で判断を間違えてしまう

(大丈夫だと思ってしまった)人が多かった。

 

特に工業地帯で働いていた人は

上司がいない場合、

逃げ遅れてしまうこともあった。

(避難指示を出す責任者が不在)

 

 

震災直後でも食品の入ったバスの中身を

勝手にとることはない→日本人だなと思った。

 

 

 新しく建てられたマンションには4階まで

「逃げろ」避難をするように促す表示がある。

 


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 多賀城高校の生徒が付けた

津波の高さが示された看板のついた

電信柱が市内に120本ある。

 

 

◉学校交流 

宮城県多賀城高等学校」創立44年目。

海から3㌔のところにある高校。

東日本大震災の経験と教訓を

後世に継承するとともに、

来る国内外の防災・減災に貢献することを目的として、

 平成28年に「災害科学科」が導入され

震災の啓蒙活動に取り組まれています。

 

多賀城高校では地震が起こった日

生徒を家に帰した。

そして帰宅中に津波が来て

生徒が歩道橋で1夜を過ごすことになった。

 
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未来の防災を担う若者たちが集う

 

「全国防災ジュニアリーダー」の合宿に

特別に交ぜてもらいました。

 

 

 

 

実際に地震が起きた時、目的を決めて

どう行動するか、

津波避難シュミレーションワークショップ】 

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目的までの道のりに

「!」がある

→そこでハプニングが起こる。

対処法を考えながら目的に向かう
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(↑ハプニング)

 

 

交流高校の中には

阪神・淡路大震災の教訓を生かし、

全国で初「環境防災科」を導入された

兵庫県立舞子高等学校」 など...

 

学校間を越えて

ワークショップや

意見交換を通し

防災について

深く学ぶことができました。